今回はお笑い芸人のカンニング竹山さんをご紹介したいと思います。
相方 ギャラ・親 ヤクザというワードで調べていきたいと思います。
2006年、小学校、中学校の同級生だった相方の中島さんが病死してから、ピン芸人になってもコンビ名「カンニング」を残してカンニング竹山で活躍しています。
キレ芸で有名ですが、実は、相方の療養中も、ギャラを半分渡していたという優しい人柄です。
カンニング竹山のプロフィール
【本名】竹山 隆範
【読み方】たけやま たかのり
【生年月日】1971年4月2日
【年齢】44歳(2016年現在)
【出身地】福岡県福岡市城南区
【血液型】O型
【身長】168cm
【最終学歴】福岡県立早良高等学校
【所属事務所】サンミュージックプロダクション
【芸風】キレ芸、いじられ芸、リアクション芸
カンニング竹山の経歴
上京して大学卒業後芸人になるつもりだったが大学を不合格になり、予備校に通うことに。
1990年、浪人中だった小学校の同級生であるケン坊田中と、
二人の予備校名から取った「代々木くんと河合くん」を結成。
予備校側からのコンビ名使用NGになり、「ター坊ケン坊」と改名した。
福岡の地方テレビ局TNCのオーディション番組「第1回激辛!? お笑いめんたい子」で優勝。
翌年1991年に正式に福岡吉本でデビューした。博多大丸・大吉と同期。
その後コンビを解散し、仕事が激減。
単身で上京。東京で、小学校の同級生中島忠幸と再会し、
1992年、中島と組んで「カンニング」を結成し渡辺プロダクション所属となりました。
その後は大阪吉本などプロダクションを転々とし、現在サンミュージックプロダクションに所属しています。
同じ事務所のベッキーの不倫騒動後の休業で、カンニング竹山が稼ぎ頭と言われています。
2004年、日本テレビ系列の番組、「エンタの神様」や、フジテレビの「めちゃイケ」で大人気に。
しかし同年12月に中島が白血病のため入院しました。
それ以後、コンビ活動は出来なくなったが、
中島が元気に復帰したときにポジションがなくならないようにピンで芸能活動を行っていました。
2006年12月20日、療養中の中島が死去しますが、
中島が亡くなった後も芸名にカンニングをつけて活動をしています。
今でもなくなった相方の分のギャラを払っている?
カンニング竹山は、相方の闘病中のギャラを半分渡していたことについて、以下のように話しています。
「ぶっちゃけギャラは分けましたけど、みなさんでも分けるんですよ。
ずっと、たった二人でカンニングという会社をやってきたわけじゃないですか。
夫婦ですよ、要は。その相方が白血病で倒れわけですよ。
単純に、お金かかるんです。正直僕も、二人の稼ぎが40万だったら分けないです。
でも、10万もらえなかった二人が、ぶっちゃけ月100万くらいもらえるんです。
一人で取ると200~300万ももらえるんですよ。
そこで相方が白血病なのに、一人で200万ももらえねえだろって。
だから僕が苦労したことはひとつもないです。逆に僕が病気になって、あいつが僕の立場になっても、あいつも同じことをしたと思いますよ」
出典:クイックジャパン
今は、どうしているのでしょうか。
きっと残された相方のご家族を助けてそうですね。
親がヤクザ?
昔、父親が事業を行っており、9歳までは非常に裕福に育ったそう。
幼稚園へは運転手が運転する白いベンツで通っていたそう。
リビングには、象牙や虎の敷物、火縄銃が飾られていました。
9歳の時に父親が経営する会社が倒産し、一転して借金取りに追われる生活となります。
この時、子供心に「人はお金が絡むと豹変する。金を信用しちゃいけない」と思い、周りの大人たちが敵に変わっていく様を痛感したそうです。
竹山が高校生の頃、バブルに便乗する形で父親の羽振りが再び良くなります。
しかし、竹山が上京した後に再び父の会社の経営が傾き、
返済計画を話し合う会議の途中に父親が脳出血で倒れ、そのまま死亡。
父の死後、東京の竹山に裁判所から書類が届き、全く身に覚えのない13億円もの借金を背負わされていることが発覚(竹山の兄は20億円の借金を背負った)。
結局、相続放棄をする形でその負債を免れたそうです。
父親がどんな会社を経営していたのか、竹山は全く知らないそう。
「借金はするな、保証人にはなるな」が父の遺言の様なものだったといいます。
ヤクザではなさそうですね。
まとめ
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